体験談12|八方塞がりの道を開いたデリヘル、夢中にならざるを得ない

皆様から寄せられたデリヘルでの体験談を掲載しています。

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アナルプレイに目覚めたデリヘル嬢の話/体験談12

鞘から抜刀(39歳)

塾講師の私は、気づけば15年以上も継続して勤務している。仕事は忙しく、妻とは夫婦としての営みなどもはやない。セックスレスになってからは3年だが、きっかけは何かという明確な理由はない。

私が多忙、妻はパートゆえに子供は妻のほうになついている。子の誕生日に外食する際、私が遅刻しそうという理由で、私を抜きにして行かれた日は夫婦間の冷えを感じた。

また自分は、近年における生徒たちの対応にもストレスを感じていたところだ。すぐスマホを触る、鬱屈的、自分に意思を持たない生徒など、対応にはほとほと労力を使わされる。気疲れや苛立ちを自宅に持ち帰ってしまい、八つ当たりはしないが近づきにくいオーラも放っていたに違いない。

多忙の折、私は1つトラブルを起こした。塾で数学の質問をされ、しっかりと解説をしたつもりであったが、理解できなかったようなので再度説明をした。しかし私の態度が威圧的だったということで、後日父親が怒鳴り込んで来たのである。

凄まじい剣幕で、怒涛の勢いで罵倒されてさすがに落ち込んだ。とはいえ私にとって妻は癒しではない。ストレスに加え精神的な孤独にも苦しまされるようになる。

やがて1人でBARへ飲みに行くようになったため、もはや家庭内不和は飽和状態。飲んでいる際、マスターは他の客には話しかけるものの、私には会話一つしてこない。よっぽど負のオーラが漂っていたのだろう。

ある日私の横には50代と思わしき中年と、20代の女が座った。最初はP活だろうと思ったが、どうやら風俗客と嬢のようだと彼らの会話から予想した。

風俗……。そういえば、行ったことはなかったなと過去を思い起こす。妻が居るというのは建前上とも言え、今の私は家庭内別居状態なので、利用して心の隙間を埋めてもらうのも良いかもしれない。

そう思った私は風俗店を探し、デリバリーヘルスを使ってみることを決意した。理由は受付で話すことや待合室という人目も避けたかったからである。

選んだのは30歳のデリヘル嬢の好美(仮名)。選んだ理由を聞かれたので、正直に家庭事情を話し、人妻系以外のデリならどこでも良かったと打ち明ける。無論、好美が新人ではないことと、美しかったからというのも伝えた。

中年事情を熟知していた彼女は、すぐに私が望むような対応をしてくれる。加えて、心の拠り所を求めていたことも察知し、腕を組んでエスコートしてくれたのだ。

好美はコートの下がノースリーブだったため、直に当たる肌感を覚えただけで私はムラムラとしてくる。さすがに数年もセックスをしていないために、それも当然であろうか。

ホテルに入った後もソファーで腕を組み手もつないでいたが、そうなると次にキスでも……そう思った瞬間彼女からしてきた。戸惑っているうちに今度はディープキス。

鼻息が荒くなったのは自分でもわかるが、太ももを見ていてアソコを触りたくなった私。するとパンツ越しに触らせてくれたのだが、手を持ち誘導したエロティックな仕草に大きく興奮した。

居ても立っても居られない私を彼女は風呂場へと案内。一緒に入ってきたので驚いたのだが、さらに驚愕したのは自分の体で泡を立て、バストを当てたうえのマッサージ洗体をしてくれたところか。

桃源郷というような世界に包まれ、覚めることのない夢はベッドにおいても続いた。プレイ中私は彼女に身を委ねるというスタイル。耳や首や乳首など、至る所を舌で舐め回され、感じながらもぬくもりを覚えた。

私が好美の乳房をつかみ揉みしだくと、妻とは違う本気の喘ぎ声を出してくれるのだ。またクンニをしたときはさらに感じた声を出してくれる彼女。

バトンタッチとなった際、受けたフェラチオは極上そのものだった。音を立てながら嫌らしくなめ、根本まで咥える。また玉を舐める動作を繰り返すなど、人生で1番感じると思ったのはやはりプロだからこそだ。

すると、彼女は騎乗位の体勢になり挿入するようなポーズになった。「あれ?」と言うと「素股をしていいですか?」と聞かれたのでAVシーンを思い出し、理解できた私はお願いした。

ズリュズリュと、横から見ていると入れているのと同様に見えるプレイなのだが、正直なところ妻とのセックスよりも気持ち良い。また騎乗位で好美はハリの良いEカップなので、眼福と言える状態なのも最高である。

快感の上限に達して発射したあと、時間があったのだが彼女は膝枕のうえ耳かきをしてくれて、瞳が大きくショートヘア、女子アナ風の彼女が女神様に見えた。

妻とのセックスレスは二度と解消されることはなく、離婚の前兆も感じる。しかし独り身になったとしても、私はデリヘルがあれば人生満足できるのではないかと、希望を胸に秘めたのである。